エンジニアの説明下手は「知識の誘惑幻惑効果」のせいかもしれない

ちょっと前、こんな記事が少し炎上していました。

説明が分かりにくいのは知的怠慢だ、技術者よ思い上がるな | 日経 xTECH(クロステック)

https://tech.nikkeibp.co.jp/atcl/nxt/column/18/00148/100300081/?n_cid=nbpnxt_twbn

「エンジニアの説明下手」については、

  • 説明を受ける側の事前知識が足りないにもほどがある
  • 結論は決まっているのに、アリバイのためにプレゼンをさせられる
  • マネージャたる上司がするべきレベルの説明なのに、平のエンジニアに丸投げされ、失敗すれば評価が下がり、成功しても上司に手柄を取られる
  • 「コミュニケーション能力」が手垢がついたバズワードであり「情報伝達」「アイデアを引き出す」「人を発奮させる」「上司や顧客をコントロールする」「幇間の才能がある」「イケメンでモテる」などが一緒くたにされてしまっている

などなどの問題もあるわけですが、それはさておき、説明が分かりにくいエンジニアは、たしかに時々見かけます。特に若手で。ベテランも時々いますが。

ところで、心理学には「知識の誘惑幻惑効果(seductive allure effect)」というバイアスがあるそうです。アンチパターンのゴールデンハンマー(Golden Hammer)に近いもののようです。

説明文は、学術的に妥当なものと不適切なものの2種類があり、さらにそれぞれが科学的用語を含むものと含まないものの2種類ずつ、計4種類が用意された。妥当な説明の内容は、科学的用語の有無を除けば、まったく同じものである。不適切な説明も同様。これらを比較することにより、科学的用語の有無が、読み手への説得力にどのように影響するかを測定できるというわけだ。

神経科学を学んだ経験のない一般人は、不適切な説明であっても科学的な用語が加わっていると、説明の内容部分は同じなのに、科学用語がない説明より高く評価した。

それに対して専門家は、科学的用語の有無に関わらず、不適切な説明文は低く評価した。さらに、適切な説明文に科学的用語が加わったものは、その科学的用語の内容が不正確であり説明内容に適していないとの判断から、科学的用語がない説明よりむしろ低く評価した。

しかし、脳神経科学入門の講義を半年間聞いた学生たちは、専門家とは真逆の反応を示した。一般の素人と同じく、不適切な説明文でも科学的用語があれば、そうでないものより高く評価し、さらにあろうことか、適切な説明文でも科学的用語が加わった方を、より優れた説明と評価したのだ。これは、専門家の判定とは正反対だ。

(中略)

むしろ、知識があることがその適切な使い方を妨げ、その知識を使わない方がより適切な場面でも知識を使ってしまう誘惑に、ぼくたちは駆られている。知識は人を、使うように使うようにと誘惑し、幻惑する。

覚えた絵空事を使ってしまう「知識の誘惑幻惑効果」から自由になる法(佐倉 統) | ブルーバックス | 講談社(4/5)

これを読んで「説明下手なエンジニアは、知識の誘惑幻惑効果にかかっているのではないか」と思いました。

例えば、プログラミングにちょっと興味がある(けど未経験)の高校生に「Pythonってどんな言語?」と聞かれたら、

Pythonは高機能なわりに、書きやすさも重視していて、初心者にもオススメ。Googleなどメジャーな企業でも使っていて、最近はAI分野でも人気です。MacでもWindowsでも使えるよ」くらいの説明をして、相手の興味に応じて適宜補足していけばいいのに、

Pythonを覚えたてで興奮しているプログラマーは、いきなり「Pythonオブジェクト指向・動的型付けなどの特徴を持つスクリプト言語であり、インデントによるブロック表現によりコーディング規約に頼らずとも、教育用言として優れている。numpy, pandas といった数値計算・行列計算ようのライブラリが充実しているため、機械学習ディープラーニングの分野でも人気が高いが、PyQtなどのGUIライブラリもあるし、バッテリーインクルーデドといってライブラリを追加インストールしなくても標準ライブラリの範囲内で多くの業務をこなせる。ただし、pipenvとpoetryが(ここで『うんわかった。ありがとう』と言われる)」のような、用語を使いまくった説明をしてしまうんです。

もちろん、「説明下手」はこれ以外もいろんなタイプがあるんだと思いますけど。

なお、知識の誘惑幻惑効果を避ける方法があればいいんですが、特に特効薬があるわけではないようです。引用元記事でも「’難しい」としています。

高校生に接する機会を増やせば良いのかもしれません。

知識を適切な文脈で使う能力(これを「リテラシー」と言ってよいのかどうか)を大学の授業で身につけることは難しい。大学のような均質な空間では、実生活におけるさまざまな場面や文脈をすべてシミュレートすることはなかなかできない。限界がある。

むしろ大学以外の場に目を向け、博物館や科学館や動物園を、そのような能力を涵養する場として注目したい。文脈に応じた知識の使い方を身につけるには、博物館などのような一般にも開かれた所で、展示物や来館者と関わりながら、情報がどのように移り変わっていくかを肌で感じつつ学んでいくのが有効ではないかと思うのだ。

覚えた絵空事を使ってしまう「知識の誘惑幻惑効果」から自由になる法(佐倉 統) | ブルーバックス | 講談社(4/5)